17.<Pは悪なのか?>2017年(H29)−続き
<ディズニーを知る・・・>
ここでは、入場料が度重なる値上げで2000年頃の2倍近くになったも関わらず、変質的とも言うべき日本人が異常な勢いで集中的に金を落としに行くディズニーランドの元締め“ウォルト・ディズニー・カンパニー”とは何か考えてみたい。
<戦前の歩み>
1923.
カンザスシティーでウォルトのアニメ制作会社 ニューマンズ・ラッフォグラム倒産
1924.
バーバンクにて再活動
1928. ミッキー誕生。ディズニー年間20本製作。世界大恐慌。
この年末、ウォール街発の大恐慌が始まるのであるが、ほぼ時期を同じくしてディズニーの大躍進も始まる。何とも皮肉なことだが、景気の良い時は、労働集約型+低賃金+長時間労働の代表であるアニメ制作会社には良い人材が集まらず、景気が悪くなると、優秀な人材が集まる。欧米の労働市場は約100年前も今と全く同じ理屈である。
だが、大恐慌のために多くの市民に仕事がない。暗い世相の中では映画など誰も見に行かないのではないか。事実、映画会社は軒並み業績低下に苦しんでいた。年間20本製作していたディズニーを除いて。
なぜだろうか?
ディズニーの主人公は、ねずみ、アヒル、猫、犬等みな人間に比べて小さく弱い動物である。ウォルトという作家はこれらの小動物をうまく利用している。不況の中で小さな主人公が過酷な人生に貶められても、希望を失うことなく未来に向かって冒険に出たり、小さなネズミが体の大きなネコに勝利するといった擬人化による大小の対立構造を描いて多くの人々の共感を得た。特に「3匹の子豚」は、子豚と恐ろしい狼という単純な対立構造が、未曽有の大恐慌に立ち向かおうとする弱き民衆の心をとらえて離さなかった。そして破産したり、仕事を失って出て行くときにも、人々が決して手放さなかったものがあった。それはラジオである。当時はまだ真空管式AM受信機であった。だが、ディズニーと同様に大きく躍進したのが、ラジオ放送産業だったのだ。
1940年、サウス・ブエナ・ビスタ通りにウォルト・ディズニー・スタジオ建設。
1600人の従業員とともに移動。
1941年、真珠湾を日本軍が攻撃。
アメリカが参戦、戦争は第二次世界大戦となった。ナチスによるヨーロッパ戦線の拡大によりディズニー・スタジオの製作した映画のヨーロッパへの輸出が大打撃を受け、その収入は40%に低下。
「ピノキオ」(1940.11)、「ファンタジア」(1940.11)も不入りで、興行収入はかつての「白雪姫(1937)」の850万ドルからわずか100万ドルに低下して財政破綻の危機に陥った。
1941年12月 デイズニースタジオは米軍により占拠された。
続いてウォルト氏が海軍航空局に呼び出され、技術訓練用アニメ20本を製作依頼された。ここにはファシズムの中南米への浸透を防止するため、何としても南北の結束を深めるという目的があった。340万ドルもの銀行の借金返済のため、ウォルト氏らは南米へ情報収集に向かう。南米での取材の心配は杞憂にすぎず、ディズニーは絶大な人気があり、既に南米の諸国民に受け入れられていた。
かくして1941〜45年にかけてディズニーだけでも短編プロパガンダ映画を77本農務省に、大陸間調整局に衛生教育映画18本と、戦意高揚のため他のスタジオと共に大量に製作してその命脈を保った。
中でも主人公の振り分けには笑えるものがある。多くのカートゥーン(短編アニメ)の中で、ドナルド・ダックは政治的、経済的、軍事的に重要な役目を与えられ、正にアメリカの原型を表すようになり、36本に出演、愛国主義者の代表となった。グーフィーが13本、ドジでマヌケなミッキーはほぼなし。唯一の出番は、ミッキーのお面型の子供用ガスマスク。製作されたが、本土は無傷であったため使われうことはなかった。
昨年友人のカナダ人教師に聞いた話だが、ミッキーについては今日でも、アメリカ人でさえ結婚式等の席にはきてもらいたくないと言っていた。共に写真やビデオに収まることも望まないという。なぜならドジでマヌケだからだそうだ。実に笑える。
それはさておき、1939年のディズニー・スタジオはアメリカ中で最も低賃金な労働環境であった。ウォルトは「父のように尊敬され、恐れられていた」という。製作者たちは組合に加入することもできない一方で、プロとして認められることを望んでいたが、自社の長編映画以外のタイトルにはすべてウォルトの名前のみが用いられた。これには多くの製作者ががっかりしたという。(当時作られていた映画のほとんどはカートゥーン=短編アニメであった。)まさに彼はギルドの親方であり、スタジオはウォルトの所有物、製作者らは彼の意のままに動く徒弟に過ぎなかった。
1942年 余りに秀逸なプロパガンダ映画を作りすぎると、結果として誤解を招くこともある。“戦争成金”騒動から「ディズニーにビタ一文やるな!」との上院議員の頑なな態度を招くに至り、採算度外視で作成した映画の資金の回収にも困る事態となる。
1943年 ディズニー製作映画の94%が政府との契約で製作された。年間260万ドル。
ウォルトの会社は設立当初から男女、人種差別的な会社であった。それがアメリカの国策映画を大量に製作する中で、愛国主義、白人至上主義、文化帝国主義に傾いていくのは当然の成り行きだった。
<戦後の歩み>
1950. 朝鮮戦争勃発。その最たるものが、マッカーシズム旋風の中で生じた。アメリカにおけるレッドパージである。「闇の王子ウォルト・ディズニー」(マーク・エリオット著)でディズニーの内幕が暴露されている。ウォルトはFBIに組合活動を密告、自分の会社の組合員を共産党員だと証言までし、政府に自ら協力した。こうしてディズニーの製作する映画は反共イデオロギーを纏った、娯楽アニメ映画になっていった。
しかし、周知の通り、戦後になると映画は斜陽産業になってしまう。理由はなにか? ニューメディア、テレビジョンの普及が原因である。アメリカでは商業放送が1941年から既に本格的に始まっていた。(ちなみに日本は1953年から本格的に開始。)戦争中は商業放送を停止していたが、1945年に再開される。第二次大戦でアメリカは無傷であった。そのため、壊滅したヨーロッパ市場を中心に世界に資源と製品、食糧を輸出し、空前の好景気に沸く。多くのアメリカ国民はテレビを購入し、白黒で荒い画質であっても家族そろって番組や映画を視聴した。大量生産、大量消費時代が到来したのである。
こうして、テレビは映画に代わる大衆娯楽になっていく。後に日本でも生じるのだが、テレビで映画を放送するようになると、大手映画会社が揃って経営危機に陥った。その中で唯一、数千万の視聴者を有するテレビの放送網に目を付けたのがウォルトだった。かれは配給会社を設立して、進んでテレビ局に自社のプログラムを提供した。これにより他の大手映画会社とは逆に、大いに人気を博し、その宣伝効果によりディズニーグッズも大量に売れた。さらに世界は米ソ対立を中心とした冷戦状態に入っており、この世相に便乗して反共を強力に唱えたので、共産主義・社会主義嫌いなアメリカ人はそれを容易に受け入れた。お陰でディズニー・プロダクションズはただ一社大きく利益を伸ばすことができたのである。
<冷戦下の快進撃と映画の低迷>
1955年、テレビアニメ番組だった「ディズニーランド」が、遂に現実のレジャー施設として開園する。経済繁栄と有効な政策の下、アメリカに多くの中産階級が誕生した。
戦争中は節約が美徳とされていたが、人々は生活に余裕ができ、消費という快楽に慣れてくると、次第に不道徳感が薄れていった。だが、冷戦下の危機感(ソ連からの核攻撃)への恐怖という心理を打ち消すべく、一層楽しみを求め、次にレジャーに目を向けるようになった。
このタイミングを逃さなかったのがウォルトであった。映画のように手間と時間がかかる娯楽よりも、レジャー施設の方が初期投資は大きいが、来園者+グッズ販売により継続的に利益がでる。
1954年1700万ドル(ディズニー・プロダクションズの出資はたったの50万ドル)を賭けて建設を行った結果、ディズニー・プロダクションズの売り上げは
年度 売上 純益
1950 730万ドル 72万ドル
1955 2460万ドル 130万ドル (ディズニーランド開園)
1960 5840万ドル 340万ドル
とウナギ登りとなった。
1966年 ウォルト死去、ロイ、ウォーカー体制となる
ディズニー社の主力はテーマパークやディズニー・クラシックの再上映となる。そのため原作に勝るオリジナリティの追及はなされなかった。1980年代に至っては実写版SF作品、スター・ウォーズ、バック・トゥ・ザ・フーチャー等に押され、ヒットが無く、製作した映画も赤字続きであった。
<新体制下での複合・巨大化>
1984年 アイズナー体制(パラマウント・ピクチャーズ社長)
「リトル・マーメイド」で復活を果たし、テーマパークに「スター・ツアーズ」(スター・ウォーズ)、「キャプテンEO」(マイケル・ジャクソン)といったディズニー以外のアトラクションを導入して成功させた。
余談だが、「キャプテンEO」は、オレたち・ひょうきん族で明石家さんま師匠が扮した“キャプテン・イヨッ”のほうが印象深い。筆者にとっては記憶に残るパクリのスベリ芸であった。(残念ながら当時はディズニーランドとの関係を知らなかった。)
1986年 社名を「ウォルト・ディズニー・カンパニー」に変更
アイズナー体制下に入ってから、ディズニー・プロダクションズは映像制作を専門とする会社から、テーマパーク、ホテル、メディア配給会社、グッズ製作・販売、テレビ配給網、ABC株主、有力ケーブルテレビ株主、ライセンス料、ロイヤリティ収入といった総合的な事業を経営する多角経営企業に成長するとともに巨大企業となっていた。そのための社名変更である。その傘下には多くの企業名が並ぶ。
ちなみにその売り上げと純益は
年度 売上 純益
2010 75億8600万ドル 43億1300万ドル
2015 524億6500万ドル
83億8200万ドル
2016 556億3200万ドル
93億9100万ドル
2017 551億3700万ドル
89億8000万ドル
とケタ違いである。
バブル崩壊以降、日本国内では多くのテーマパークやレジャーランド、宿泊施設等が経営に失敗し、倒産して跡地が廃墟となった。何とも驚異的な経営戦略である。
世界中にその画像とグッズを販売することで、人々は子供の頃からそれとともに成長する。テレビや絵本に出てくるのはすべてディズニーの作品である。これは完全な刷り込みといっていいだろう。原作がグリムやペローであろうと、金を払って権利をモノにしてしまえば、視覚から入って記憶されるのはディズニーの絵なのである。原作者がそれを訴えても敗北してしまう、という事態までもが生じたのはあまりに残念。
この世界的規模の侵食はまさに文化帝国主義である。
<相次ぐメディアの買収>
2006年ピクサー
2009年マーベル・スタジオ
2012年ルーカス・フィルム
2017年12月、21世紀フォックスが524億ドルでディズニーに買収されたことは記憶に新しい(21Century
FOXの負債137億ドルも入るので合計661億ドル)。
フォックス以外の3社は製作会社であり、配給会社が別だったが、フォックスは製作・配給部門も有する。このメディア市場最大規模の買収により、映画は「スター・ウォーズ」「ダイ・ハード」「エイリアン」「」X−MEN」、さらにMARVELのコンテンツまでその手中に入れた。
また、これまでの北米の興行収入は2016年では
1位:ディズニー 26.3%
2位:ワーナー 16.7%
3位:フォックス 12.9%
4位:ユニバーサル 12.4%
5位:ソニー 8.0%
6位:パラマウント 7.7%
であるから、ディズニー+フォックス=39.2%となり約4割を独占することになる。
その上、これらの人気作品のストリーミング・サービスを2019年から開始するという。その価格は「Netflix」(約月額300円〜2000円)より安いという。それにディズニーの戦略として何らかの新しいサービスが加われば、視聴者は従来のサービスを見限る可能性もある。
ディズニーの巨大企業化は世界のメディアの独占を目指していることは明らかである。その正体は文化・経済帝国主義を引っ提げたプラグマティズムの権化なのである。
こうした巨大資本はどんな映画でも原作者の意向を無視して、資金力を根拠に自由に作ることができる。その最も悪い例が「ネバーエンディング・ストーリー」である。
事実、ミヒャエル・エンデ氏は映画のその内容に関して、ご本人が裁判を起こしたほどだ。原作無視、エンデ氏の要望無視のためという。だが、残念なことにエンデ氏は法廷で破れた。
またグリム童話の恐怖面だけを押し出した「グリム」もヨーロッパでは不評である。
このようなことでは、グスタフ・マイリンクの小説「ゴーレム」も映画化してほしくないだろう。どうせゾンビ映画か、CG使いまくりのB級エログロ映画になるのが落ちだからだ。
<ディズニー作品への評価と問題点>
アメリカにおいて、当時ディズニーへの評価は2つあった。1つはアメリカ・オリジナルの芸術であるというもの、もう一つは全く逆の俗悪で子供じみており、低俗な大衆文化の代表という見方である。
最初の評価は、バンビのような成長や親子の情愛といった普遍的なテーマを独自の映像表現で果たした点に関してである。ドナルドやミッキーもオリジナルであるが、彼らは全く労働することをせず、楽をして金儲けすることばかり考えている怠けものであり、最後は失敗に終わるドジでマヌケなキャラクターである。つまり後者の指摘がそのまま当て嵌まる。
筆者の子供のころは真空管式白黒テレビであったが、ポパイやディズニーは日本のアニメに比べて動作が不自然で、内容も下品なドタバタ話や暴力の連続(潰れてぺしゃんこになるシーンが多く、悪寒を感じる)で実にばかばかしく、数回見ただけで興味を失った記憶がある。それに筆者らの近隣はほぼ皆農家だったので、缶詰といったらサバ、サンマのかば焼き、病気の時のミカン等の果物(ごく稀)といったところだ。缶詰を握りつぶすとホーレンソーが出てくるというのは全く理解不能であった。
さて、こうしたディズニーの作品群には3つの問題がある。
1つ目。ディズニーの有名な長編映画のほとんどはヨーロッパのグリム童話やペロー童話である。だが、原作には絵が無い。ディズニーは原作のストーリーを造り変えつつ、アメリカ市民に受けるような、時にはその時代の有名女優に合わせた、独自のタッチの絵を創造した。それが世界で公開され、本やグッズとなって世界に広まると、例えば、絵本の読み手や子供はそれが原作のように思ってしまう。原作者の意向をほとんど無視し、アニメに作り直して著作権を取得してしまうと、それが世界の家庭や学校に拡散することで、グリム童話もディズニーの絵にすり替わってしまう。ヨーロッパの文学はディズニーとは全く無縁である。
2つ目。ディズニー作品は動物を擬人化したドタバタ劇で、ネズミと猫=善と悪といった単純な対立構造が多く、単純化しすぎたその内容は子供じみており、現実には大きな錯覚としか言えない。しかも映画の中では、叩き潰すといった暴力が日常的に描かれており、教育上の観点からも危険が満ち溢れている。
3つ目。世界に拡散する文化・経済帝国主義とアメリカの戦争介入の肯定。
戦争中は主人公のドナルドダックらが銃を担いで口笛でそのテーマソングを歌いながら世界の戦場に向かい、その雄姿は容易に米国民に受け入れられた。国策映画1本で乗り切ったディズニーだが、経済・軍事・科学の世界的優位性を盾に地球の支配者、警察として我が物顔に振舞ってきた戦後のアメリカ政府に便乗して、ディズニーは巨大複合企業(コングロマリット)としてその事業を世界に拡散・展開し、諸国から利益を得て、今も搾取を続けている。現代に至っては、それはノーベル経済学賞のお墨付きさえある、アメリカ政府の新自由主義経済の恩寵によるのであり、メディアの吸収・合併をみれば分かる様に、明らかに世界のメディア王を目指しているのがわかる。そのM&Aには金がかかる。1国の予算にも匹敵するその資金は全てディズニーランドとグッヅ販売から大量に集まるのである。
1941年頃、ウォルトが南米に進出した件を記載したが、戦後はどうなったのだろうか? キューバやメキシコ、ニカラグアなどはアメリカの裏庭政策=植民地政策の犠牲となった。中南米に大きな利権を持つアメリカ人の権利を守るために、ケネディの頃から繰り返し行われてきた軍事介入やクーデターは数百回に及んだ。軍事政権下の国民の虐殺は50年に渡り100万人を超えるという。
だが、中南米の民は苦境を乗り切り、多くの犠牲を払った後に、アメリカにノーを叩きつけ、いま民主化への道を歩んでいる。アメリカ政府への不信感と憎悪は当然尋常なものではなく、政府と一心同体のディズニーに対しても警戒感を強くしている。(伊藤千尋氏の著書を1冊でもいいから読むべし)
したがって、中米(カリブ海)には似たような施設が1つだけあるが、南米には全く存在しない。
アジアではどうだろう。中国を除き、まったく同じことが起こっている。東南アジア(ベトナム、カンボジア等)で行われたヨーロッパ(スペイン、フランス)による植民地政策(愚民化&搾取・収奪)の後、日本が占領統治。
だが日本が負ける直前の1945年、とんでもないことが起こった。日本軍によるベトナム(北)国民からの食糧収奪により、天候不順も重なって200万人の人々が餓死したという。日本政府の調査でも80万人という数字が公式に記録された。これはもはや人数の問題ではない。銃弾に依らない無差別殺人である。これは今ではどこにも書かれていない恥ずべき日本軍の虐殺行為である。
日本軍が撤退した1945年以降は再びフランス等による植民政策がおこなわれた。そしてベトナム戦争へのアメリカの介入により、当事国は戦乱に巻き込まれ大きく疲弊したのは周知の通り。
東南アジアには、ディズニーランドは、当たり前だが、ない。
アメリカ政府とロシア政府が介入し、戦争を継続して破壊により利益をむさぼろうとしている中東諸国にも、当然そのような浮かれた悪の象徴は存在しない。
アメリカ政府と共に歩みを進める者は全世界から憎まれていることを忘れてはならない。もはやかれらは塗装したプラスチックとコンクリートの塊に騙されはしない。そんなものに夢や希望はありはしない。国家存亡の危機を国民自らの手で克服してきた彼らにとって、夢や希望はそのようなものにより与えられるものではないのである。
最後にヨーロッパはどうだろうか? ディズニーが現存するのは今もただ一か所。フランスだ。
フランス国民の対応はどうか?
ディズニー=アメリカ文化の押し付けは拒否。フランス人は日曜日に行かず、月曜日に大挙して押しかける。無論高価なホテルもほとんど利用しない。フランスには高価なホテルはいくらでもある。グッズはそこそこ買う。ディズニーランド内のカフェではクロワッサンなど食べずに、トーストを要求。すべて自分たちの文化を通す。アメリカのプラグマティズムは受け入れない。そして当然だが、世界の文化の発信地、中心にして精神の自由を重んじる国、世界で最も美しい言語を操るフランス人が、プラスチックとコンクリートの塊に騙されはしない。ただそれだけである。当然、結果は大赤字。店じまいは時間の問題かもしれない。
ヨーロッパ人はフランスの国旗に象徴される自由、平等、友愛の人権思想を歴史の中で育み、人民の力で革命を起こし、権力者に勝利し、諸権利を自らのものにしてきた。文化も同じである。豊かな想像力は金や権力とは相いれないものだ。故に、ロマン派の芸術家たちは国王や貴族の庇護を受けながらも、その目指す芸術性との乖離に苦しんだ。ベートーベン、ワーグナーとて例外ではない。あくまで精神の自由・解放を尊ぶ彼らは、富と武力で全てを支配しようとする思想、アメリカで生まれたプラグマテイズムを受け入れない。芸術家にも金は必要だが、金の力だけで芸術が生まれた例はこの世にはないのだ。
参考資料:
伊藤千尋氏著 「人々の声が世界を変えた!」
伊藤千尋氏著 「燃える中南米」
伊藤千尋氏著 「ゲバラの夢 熱き中南米」
伊藤千尋氏著 「君の星は輝いているか」
伊藤千尋氏著 「反米大陸」
伊藤千尋氏著 「観光コースでない ベトナム」
有馬哲夫著「ディズニーとは何か」
セバスチャン・ロファ著「アニメとプロパガンダ」
マーク・エリオット著「闇の王子ウォルト・ディズニー」
<AAとディズニーの目的>
ではディズニーとはなんであろうか?
ディズニーはここ数年でM&Rを繰り返し、多くの会社をその傘下にいれようとしている。世界の映画等の娯楽産業をその手中に収めることで、その影響力を世界に広め、その世界から富を吸い上げようとする正に代表的アメリカの企業=“プラグマティズム”の実行者であり、文化帝国主義の先陣を切るものなのである。
スタンリー・キューブリック監督の戦争映画「フルメタル・ジャケット」の最後のシーンを覚えている人はいるだろうか?
映画の終盤、ベトナムで海兵隊員らは作戦中に狙撃され、次々と仲間を失っていく。ようやく狙撃手が潜む廃墟に潜入して、撃ち合いの末に発見したのは重症のライフルを持つ少女であった。皆その事実に衝撃を受ける。だが、彼らはその場で少女狙撃兵を射殺、直ちに進軍を開始する。ミッキーマウスのテーマソングを歌いながらだ。彼ら海兵隊員は訓練通り殺戮マシーンとなると同時に、人間性が麻痺してしまったのだ。
これが思い出せなければ、その耳も目もただの節穴である。ここで勇敢なアメリカ兵に賛美の拍手を送る気分になった者は、明らかにディズニー依存症または中毒患者だろう。
こうして世界に戦争による死と破壊と荒廃をもたらし、アメリカの兵器商人=死の商人の懐を肥やさせ、同時にアメリカ企業が滅亡寸前の国の再建の権利を手にして破滅した国からさらに利益を奪取する。そこには向こう10年利益を見込んで計画された戦争ビジネスが現実に存在する。しかもその企業は陰で大統領選を左右する。ゆえにこれからもアメリカは白人至上主義を陰で掲げながら、世界の戦争に介入し続けねばならないのだ。
これでわかるだろう。ディズニー依存または中毒のために真実が見えなくなっていることを。
アメリカは正義と平和と言う大義を掲げ、ディズニーと共に世界に文化・経済帝国主義という悪を拡散する。その上、白人至上主義をも掲げて世界から富を吸い上げる。その急先鋒となり死地に赴く勇敢な兵たちを讃えつつも憐れむ・・・。ここにこそ、キューブリック監督の痛烈なアメリカ・プラグマティズム批判と反戦への強い意志を読み取ることができる。
ディズニーランドで、アルコール依存症の自助グループによるミーティング(AA)が開催されているのはなぜだろうか? ここまでくれば話は簡単である。アディクションの代替えである。錯覚によりアルコール依存からディズニー依存に乗り換えさせ、ディズニー中毒者を世界中に蔓延させて、世界から金を搾取し、自らの利益のみを増大する、ただそれだけの目的なのである。コンクリートとプラスチックというプラグマティズムの典型的な道具でできた欺瞞にみちたディズニーの世界のどこに夢と希望があるのだろうか?
それらは“モノ”である。アディクションの対象そのものである。関東に住む(異常とも言うべき)多くのリピーターがその良い例である。いい加減、目を覚ますべきだろう。
そして最後に、このようなプラグマテイズムの権化であるディズニーがAAなる活動をしている理由をもう一つ。キリスト教世界では、有り余るほどに稼いだ富をすべて自分のためだけに使うものは不道徳な精神の持ち主とされる。よって、多くの資産を保有する個人、法人は慈善事業をおこなう。これで社会的評価が上がり(否、下げずに済むだけかもしれない)、売り上げが上がる。更に資産が増える。また、慈善事業をおこなう。この繰り返しが常態化しているというだけのことである。
このような連中が画策するディズニーランドとそれに準ずる施設を、諸手を挙げて絶賛し、さらに印象をよくして国民をディズニーランドへ行くよう仕向けることは愚の骨頂であり、現実を知らぬ余りに浅はかな考えであることをよく知るべきだろう。こんなことだから、2018年もこれからも日本はアメリカの奴隷犬ポチになり下がってしまうのだ。
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