確率の歴史は17世紀に生きたフェルマーとパスカルに始まりました。当時は途中で賭けを止めた場合の賭け金の分配問題が中心でしたが、今日では確率論の延長上には、確固たる統計学があり、物理学では統計力学、微視的世界の確率論的解釈である量子力学、確率微分方程式(故・伊藤清教授)が応用された金融工学など多くの分野が存在します。但し、それらは厳密な数学により定義された学問であり、もはやそこには単純な確率論の姿は全くありません。
実際のところ、小学校では”場合の数”を、中学では”確率と統計”を習います。確率論としてはこれでも十分です。では、これを習ったからと言って、サイコロ遊びの”すごろく”で、自分だけ常に1番で上がることができるでしょうか? ”くじ引き”で自分だけ一等を引くことができるでしょうか? 自分だけ有利になるよう”宝くじ”に応用できるでしょうか?
残念ですが、確率論(に限りませんが、)は何の役にも立ちません。
ギャンブルに関するHPはネット上に大量に存在します。中には、”確率論を知らない”から負けてしまうのだ、などと堂々と書いているものもあります。ギャンブルは単純確率を基本にしています。したがって、確率論を知っても、既に述べたように勝ち負けには何の効能もありませんし、適用する方法もありません。
”ギャンブルに勝つ”といった本も多くあります。しかし、全て統計学の一般論、つまり大数の法則と収束を振りかざして読者を煙に巻いたあげく、結局はその人の持っている”運”や”ツキ”が強調されます。読後はもやもやするだけで何ももたらしません。時間の無駄です。
21世紀も17世紀も共通するのは、ギャンブルが存在するという事実であり、勝ち負けに規則性が無い、即ちその不確定性ゆえにこそ面白みがある所以です。
もちろん、問題も大いにありますが・・・
さて、ここからは、主人公とPとの関係を中心に、事実を元に私小説風にストーリーを展開してみました。懐かしいP台も登場します。気楽に読んでいただければ幸いです。(パチンコはP、パチスロはPSと略しました。)
1.<Pとの出会い>1996年(H08)
ミニコラム:この頃のP業界
ミニコラム:ミサイル7−7−6D
2.<久方の再会>
ミニコラム:乱立するP雑誌−そのスタンス
3.<公開データと甘い罠> ミニコラム:P店はP台を知っている?
4.<偽造パッキーカード出現>1996年(H8)
5.<規制(5連リミッタ)後>1998年(H10)
6.<救世主? ルパン登場>
7.<懲りない人々>
8.<99基準発動>1999年(H11)
ミニコラム:リミッタ解除後のP業界の低迷
9.<攻略という幻想>2000年(H12)
ミニコラム:体感器は犯罪か?
ミニコラム:羽モノ キングスターGP(三共)
10.<P韓国へ渡る?−学ぶべきことはあるのか・・・>
<メダルチギの真偽>
<第一:文化的な面での誤解>
<日本帝国主義と経済帝国主義の罪悪>
<韓国の文化開放政策>
<日本技術大国の欺瞞>
<第二:日本独自の確率換金ゲームシステムへの着目>
<日本人の無思想性>
11.<危険な賭け−闇社会との遭遇>2004年(H16)
12.<大当方式の決定的変更−攻略は夢と化す>2005年(H17)
<新展開>
<難儀な人物あらわる>
<2004年・風適法改正の影響>
<抽選カウンタのプラス乱数方式>
13.<「遊パチ」出現−1円パチンコ元年>2007年(H19)
14.<救世主再び? エヴァ登場>2008年(H20)
15.<本格的な出玉規制がスタート>2015年(H27)
16.<Pは悪なのか?>2017年(H29)
17.<Pは悪なのか?>−続き−
18.<結び>
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