P. Story/パチンコ・・・昨日・今日・明日(3/13)







 パッキーカード  
























































 
花満開






























































































パチリンピック




マジカル夢夢ちゃん















  マジカルチェイサー





4.<偽造パッキーカード出現>1996年(H8)

 1996年頃は、関東以北ではどこのP店へ行ってもパッキーカードの券売機が置いてあった。このカードは全国共通という触れ込みだったが、他店で使用できたのかどうかは試していないので不明である。とにかく現金機以外のCR機を打とうと思えば、このカードを買うより他にないのである。見かけは、当時流通していたテレカと同じ磁気カードである。ところが、後でわかったことだが、それらが同じ技術を利用したものであるとは、当時は知る由もなかった。

その昔、携帯電話の無い1980年代、外で電話をするときは公衆電話を利用した。故にそれは至るところにあった。利用時には受話器を取り、10円または100円を投入してダイヤルもしくはボタンを押した。だが、少々問題があった。話している最中に10円が終わってしまい、100円をいれた場合だ。20円分くらいで話が終わって受話器をかけてもお釣りが出ないのである。大きな収益を上げている大企業NTTにしてはやることがセコくないか・・・? と度々思ったものだ。

 また、普通の人には公衆電話は便利な電話機なのであるが、ある種の人々には電話の付いた貯金箱があちこちにあるように見えていたようだ。破壊され、貯金箱部分が引っ張り出された公衆電話の無残な姿がよく雑誌に掲載されていたことを思い出す。 そうしたことへの対策もあったのだろう。1982年、テレフォンカードの販売が始まった。このお陰で個人的にも仕事上でも非常に便利になった。これでもう小銭を余分に持つ必要がなくなったからだ。(だが、相変わらず小銭は使えたし、釣り銭もでなかった)

ポケベルやPHS、携帯を利用しだす90年代になっても、500円もしくは1000円テレカは常に持っていた。携帯やPHSのバッテリがさほど持たなかったことが理由である。

かくしてテレカは発売から数年で国民の間に広く浸透していった。そのセキュリティと安定度はNTTが10年保証する程に優れていたのである。
 一方、P業界は現金商売ゆえに売り上げの不透明さ(脱税)と北朝鮮への送金、反社会的組織との関係という闇の部分を払拭できずにいた。これらの問題に以前から取り組んできた警視庁はP業界のプリペイド化を検討していたが、テレカという突出したNTTのこの技術に注目したのは当然のなりゆきだろう。 かくしてP業界に採用されることとなり、以後両者はその足並みを揃えていくこととなる。
では、その流れを年代順に追ってみよう。

 *1982年(S57)NTTがテレカを発売
 *1986年(S61)ハウスカード(P一店舗内限定の磁気カード)が試験的に導入される
 *1987年(S58)テレカの売上1385億円に達する
 *1988年(S63.10)日本レジャーカードシステム株式会社設立
          (大株主:NTTデータ、三菱商事、たいよう共済)
 *1989年(H1.5)テレカ偽造品の発覚
 *1989年(H1.8)日本ゲームカード株式会社設立
          (大株主:NTTデータ、住友商事、たいよう共済)

前述の通り、テレカの技術、特にセキュリティについては10年保証するほど、NTTは自信をもっていた。だが、上野、代々木界隈でイラン人が偽造テレフォンカードを大量に販売していた。これが摘発されたのである。テレカ導入から10年を経ずしてそのセキュリティは破られてしまった。無論NTTはそのまま放置したわけではなく、セキュリティの強化をその都度行った。

では、同じ技術を使用したPのCRシステムは問題なかったのだろうか? 

 *1990年(H2)CR機の導入が始まる
 *1994年(H6)日本LEC、日本GCの売り上げ9400億円、6%配当
 *1995年(H7)CR機導入店10000軒越える
                        日本LEC売り上げ 2兆8885億円、日本GC売り上げ 1兆2005億円
                        偽造パッキーカードが使用され、犯人逮捕(新橋)

 *1996年(H8)偽造パッキーカードの被害、630億円に。日本LEC 550億円の赤字。

 90年からCR機の導入が開始されるが、CR機導入を促進しようとする当局とP店オーナーとの間の確執もあり、その拡販は遅々として進まなかった。
だが、1993年“花満開”のヒットがこの状況を打開した。

この台のスペックは次の通り。  

    大当り確率 設定1:1/269 設定2:1/289 設定3:1/308
 確変中   設定1=1/8.15、設定2=1/8.03、設定3=1/8.11
 出玉数         約2300個
 確変絵柄     3,7(2回ループ)
 連チャン  数珠連1/7.5、保連1/10


 驚異の数珠連機能を備えた爆裂連チャン機である。こうしたP台が各メーカーで開発され、そのヒットにより95年にはCR機の導入が10000店を超えるのである。
そのCRシステム拡大の真最中の93年、遂にパッキーカードの偽造品が摘発された。その後もセキュリティ対策と偽造団とのイタチゴッコが続く。

ところでこの93年、“ダービー物語(現金機)事件”が発生。埼玉県警によりPメーカー平和の本社、工場が家宅捜索をうけ、逮捕者まで出た。アタッカー周辺の釘曲げ=無承認変更による保留連の誘発。CR機導入を進めたい当局による連チャン現金機撲滅対策のやり玉にあげられてしまった。

94年は現金機に次いで連チャンCR機が規制対象となる。のめり込みによる借金、自殺、強盗、子供放置死等の社会問題が多発したためである。 96年、偽造カードの被害は630億円にも上った。同年5000円、10000円の高額カードが販売中止になった。

カード会社は96年中に高額カードを再度発行する計画を断念。かくして全国に広がった偽造カード被害を抑えることができず、カードの全国共通という特徴を放棄、一店舗のみでしか使用できないハウスカード化が進む。
1986年に戻ってしまうのである。

遂にNTTご自慢のセキュリティー技術を有したパッキーカードが落ちた。

 *1999年(H11)テレカがICカード化される。
 *2001年(H13)P業界、日本ゲームカードのICカードシステム スタート
 *2005年(H17)テレカのICカード及びICカード型公衆電話終了。

 P業界に先駆けて、ICカードタイプの公衆電話が登場したが、6万台近くまで拡大したものの、携帯電話の普及により公衆電話の利用率が低下、遂に2005年に廃止となる。これらの関係は公衆電話設置数推移、通信サービス加入契約者数の推移データから明らかである。

 公衆電話設置数推移


 通信サービス加入契約者数の推移

 (総務省データによる)

 確かに公衆電話用ICカードは2005年には消滅したが、その後、P業界ではICカードまたはICコインが逆に拡大の一途をたどった。現在では全てのP店で各店毎にICカードが使用可能となった。特に低貸し玉システムの店では、入金、払い出し、貯玉、景品交換と一度も鋼球に触れることなく遊技を行うことができるようになった。


5.<規制(5連リミッタ)後>1998年(H10)

 1998年2月はオリンピックが行われ、大変な賑わいだった。正に世界規模のお祭りである。飲食店は大賑わいだったが、建設関連以外の企業にとっては特別なものではなかった。
 そうこうしている内に夏も終わりに近づいた。この頃はまだ社会的不適合機撤去(*1)の嵐が吹き荒れていた。P店には相変わらずCR機(*2)と現金機があったが、田舎のせいか、CR機の人気はそこそこあった。モンスターハウスはそのままなので釘さえ締めなければ人気があり、平日でも夕方からは空き椅子が無いほどだった。

どのCR機も新台として導入された後の1〜2週間は毎朝10人程の人が並んで入店待ちをしていた。私はたまに日曜だけ並んだが、その期間を過ぎると人気はガタ落ちとなった。

その中でもオリンピックの終了後9月に発売されたパチリンピックR(西陣)は結構人気があり、半年位は持ったと思う。リーチは全てアイススケート、ジャンプ等の競技であり、リーチ中に金、銀、銅メダルのいづれかを獲得する(金なら確変)と大当たりというもので、これまでにない面白い内容だったのだ。まぁ、銅ばかりだとだめだが・・・。

その頃、私は確率1/300以下のCR機か、1/200前後の現金機を主に打っていた。
そして驚きの体験をした。ある日曜日、朝から並んだはいいが、結局パチリンピックはゴミ当たりばかりでダメ。9000円投資で終了。あきらめて11:00頃からいつものように誰もいない“マジカル夢夢ちゃん”のシマに移動した。

“マジカル夢夢ちゃん”とはフィーバー・スーパーナインMX (大当確率1/223.5、時短80、出玉2000個、1998年発売、三共)。
なんと、この日は40回を超える、現金機の大当たりの新記録を出したのだった。
新記録更新中、いつもの店員が4段4列の次5列目のドル箱タワーを作りながら言ったものだった。
「寿司でもとりましょか〜!」

1箱ぐらいのハマりをものともせず、“夢夢ちゃん”の出玉ラッシュは19:30まで続いた。

 途中、友人Sが店に入ってくるなり、
「どうしちゃったんですか 〜? 凄いじゃないですかっ!」と唖然としていた。
「終わったら飲みに行きましょう」
いつものように小料理屋へ向かったのは言うまでもない。

 そういえば、現金機で8万円(2.5円換算)に到達した台はマジカルチェイサー(1/227、大当後時短抽選方式0/50/100/次回、出玉2100個)を除けば、前にも後にもこれ1台だけだった。

 マジカルチェイサーが新台で8台入った。私のドル箱タワーをみた友人Sは、翌週同じ台でドル箱タワーを積み上げ、冷凍のタラバガニを交換し、それでも十分余る現金を手に帰って行ったのだった。

 大当たり中、どこかのラウンドでアタッカーに玉を1個だけ入れずにアタッカーを閉じさせるという攻略法があった。何度もやってみたが、その効果はマッタク不明で、しまいには顔見知りの店員が近寄ってきて“打たないんですか?”などと訊く有様で、面倒になり普通に打っていたことを思い出す。

(*1)社会的不適合機撤去
 規制前はおおまかだが、CR機、現金機(権利物含む)、羽根モノの3つが存在した。CR機の特徴は2回ループ。つまり一度当たると残り2回必ず当たる。“大工の源さん”は一撃2400×3=7200発の出玉が期待できた。大当確率も3段階の設定が付いていた。“フルーツパッション”は1/65、71、77の甘い確率ながら777赤で確変突入、2400個の出玉。但し、回らないのが当然だった。だが、これらの台はすべて一日中椅子が空かない。爆発に期待して、どんどん金がつぎ込まれていく。ちなみに現金機は500円玉のみを入れて遊戯するP台である。確変は認められていない。

 これらのCR機は一度確変に突入して継続すると、爆発的に当り続ける連チャン機であった。だが一方でその過激な出玉のために、ゴトによる犯罪やのめり込みによる廃人化と借金問題、自殺、換金所強盗、子供の置き去り死等の事件が多発した。この問題は国会でも取り上げられるに至り、ついには警察への対応が求められた。警察はこれらの社会的不安要因を排除すべく、換金問題賭博依存 といった本質的な問題を棚上げにして、これらの台に社会的不適合という烙印を押し、完全撤去の方針を決めた。つまり人間の問題ではなく、P台が悪いということで、5回リミッタという連チャン規制がかけられたのである。

その結果、遊戯人口3000万人、40兆円市場と言われたP業界に不況の波がじわじわと浸透していった。

(*2)CR機
 CRとはカードリーダー(またはリーディング)の略。このカードとはプリペイド式カード=関東ではパッキーカードなるものを指した。見かけは違うがテレフォンカードと同じだ。
今はICカードで継続遊戯でき、さらに貯玉&貯玉プレイできる。(店はプレイを2000個等に制限することもできる。)この点を除けば、そのシステムは現金を使うという点で大して変わらない。

では、なぜわざわざプリペイド式のカードを導入したのだろうか?
これにはいくつかの理由があった。
当時、ゴト (違法な行為による玉抜き)によるP店の被害額は全国的に数千億円に登るといわれていた。それを補うためか、P店はさまざまなアクドイ方法で客から玉抜きを行っていた。客の出玉をごまかすのである。

1つは、あからさまなアタッカー周りの釘曲げ。これでこぼれ球が悲しいほど増えたり、パンクが発生、怒りに変わる。
2つは、ジェットカウンタのごまかし。ほとんどの客は気がつかない。

 当時は鋼球を流すと自動的にその数を計算できる専用装置があった。もちろん今もそれはある。だが、客は決して自分で流してはいけない!(近隣のある1円専門店はOKである。)
口からではなく、袖口から1000個以上玉を吐き出す、マジシャン“ふじいあきら”も真っ青のヤカラがいるからだ。1個5gの玉が1000個といえば5Kgにもなる。ゴトには体力もいるのだ。

遊戯終了時に店員を呼ぶ → カウンタに流してもらう → レシートを受取る → 両替所へなだれ込む
というシステムが基本。

 この出玉カウンタ、即ち正式名称“ジェットカウンタ”が曲者なのである。1、2箱ぐらいではばれてしまうからやらないが、3、5、10箱となれば、客は大まかの計算しかできない。2000個用のドル箱だからといってピッタリ玉を入れるために数える暇もないし、そんな芸当もできない。やったらアホと思われる。

 かつて私の居住する市内でも、P店の何軒かがこれで摘発された。新聞に非常に小さく載ったのである。こうしたことがゴト対策であってはならないのだが、そんなことよりもP店の売上の不明瞭さが問題だったのである。要するに売り上げをごまかす=脱税 に直結していた。

 当時、P店のあの手この手の脱税の摘発はよく新聞沙汰になったものである。
2016年12月、惜しくも他界した根津甚八氏主演の映画「ゴト師株式会社」の中にもその巧妙な手口(PCを使った二重帳簿など)が出てくる。今はほとんど見なくなった・・・かな?

 とにかくプリペイドカードにすれば、税務署はP店の貸借対照表が透明になり、税収が増えると踏んだのだ。
税務署は行政の末端機関である。その縦型構造の概略は、

  内閣 → 財務省 → 国税庁 → 国税局 → 税務署

となっている。
 財務省、かつての大蔵省は内閣の組織内で最も力があるところだ。国税庁経由で上層部から圧力がかかり、

  国家公安委員会 → 警察庁 

の流れでCRシステムの導入が決まれば、次は当然カードに何を使うかである。

 ここで通産省(今の経済産業省)の出番である。当然実績のある元3公社の一つNTTのテレフォンカード推し、となる。これについては後ほど、さらに面白い展開が待っている。 ところで、このような国民の生命に関わる問題が発生していたにも関わらず、なぜCR機廃止ではなく、日遊協による自主規制の形で5回リミッタが義務化され、CR機が温存されたのだろうか?

 CR機導入の背景には三菱商事、NTTデータという大資本が絡んでいたことは既に有名である。国のテコ入れで、タイマイ資金を投入したにも関わらず、導入してわずか数年でCR機廃止ではまったくおいしいところが無くなってしまうではないか! 警察指導のもと、国会議員も協力的なこの大きな利権を一度手にしたら、そう簡単に手放すことはできないのだろう。

 結局、規制がかかろうが無かろうが、Pに行くのは国民である。自分たちにしわ寄せが来ないようにして、関係者みんなで儲けたい、なんともエゲツナイ世界である。
アァ、あほらし。


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