P. Story/パチンコ・・・昨日・今日・明日(7/13)

































































































































































































































 
 
V2チップ







































11.<危険な賭け−闇社会との遭遇>2004年(H16)

 2004年(H16)風適法(風俗営業適正化法)改正。CR機の確率分母がついに500MAXに。確変割合50%も撤廃。
P台は、出玉は1800〜1900に抑えられているが、一旦確変を引けば約1/50未満の確率で当たりを引くことができ、例えば70%の連チャン率で10万越えの大爆発を期待できる仕様となった。

だが、これでは旧基準機より酷いのではないか? 軍資金10万円以上、ハマり2000、3000の死と隣り合わせの賭博マシン時代が来たのだ。
それにしても、内規改正ではなく、規制してきたはずの旧基準機並みの法改正によるこの有様はどういうことだろうか? 私はいよいよP店から足が遠のいた。

ある日、よく顔を出していたリサイクル店に何か面白いものはないかと寄ってみた。端からジャンクボックスを引き出しながら目を走らせていると、3つ目のボックスの中に、電子部品の載ったプリント基板(*1)があった。また産廃ゴミと化したCPUボードか・・・と思ってみるとROMがのっていた。CPUには“LE○○○”、◇印の中に量の漢字が刻印されていた。ROMには“○○○ビューティ”というラベル。
これは珍しい、P台の制御ボードである。値段は300円。使い道は全く無いが、乱雑に放置された3枚の内1枚だけ購入した。
明日、試しにROMライタで読み込んでみよう。

翌日19:00頃手が空いたので、早速ROMライタにROMを載せて読み込んでみる。ROMライタは開発用に以前購入した50万円の高性能タイプだ。
 スタートボタンを押すと見事に読み込み始めた。早速PCをRS232Cケーブルで接続してファイルを転送。Z80用のデバッガを起動してそのファイルを逆アッセンブルしてみた。コメントがないので直ちにはわからないが、成功した。取りあえずソースファイルとして保存した。後日、じっくりと大当判定のコードを探してみよう。



(*1)プリント基板
 よくネット上の書き込みや個人のHPなどで、知ったかぶりのド素人が“基盤”と書いているのを見ると無性に腹が立ってくるのだが、正しくは“基板”である。どうもこの連中は業界経験もなければ辞書を引いたこともないようだ。言葉の使い方にも誤りが多い。もっとも今どき塾に来る中高生も辞書など引いたことがないというくらいだ。親がそうなら子もそうなるのは当然だ。残念なことである。

さて、“基盤”とは、基礎や土台をあらわすことばである。

“基板”とはプリント基板の略称であり、正式には“Print  Ciurcit  Board”即ち、電子回路用プリント基板のことである。

このプリント基板は素材の種類によりいくつかに分けられる。もっとも安価な片面用のベーク基板、耐熱性が高く積層可能なガラスエポキシ、つまり略称ガラエポ基板の2つがその代表である。(他は省略)

プリント基板は、例えば同じ面積で設計する場合、電子回路の密度や対ノイズ性から1、2、4層(多層)を用いる。
ベーク基板はパターンを形成する銅箔面が片面しかない1層板である。片面が部品面、反対側の銅箔面がハンダ面である。かつてのテレビ用、ビデオデッキ用、今もあるラジオ基板は価格を抑えるために、電源とグランド(0V)、信号線のパターンが共存する1層基板を多用していた。(但し、すべてではない。)今日はラジオでもデジタル化が進んでおり、チップ部品やフラットパッケージICは部品面では無くハンダ面に取り付けられている。チップ化されていない部品(ディスクリート)のみが部品面にあるのが実情だ。この場合ピン間1inch(2.54mm)にパターンを2本を通すこともできる

次に回路密度が上がってくると、パターン設計上片面で全配線を行うことができない。そこで両面つまり2層基板の出番となる。部品穴やスルーホールを利用しパターンを水平と垂直に分けて各面で配線する。

ここで最近の技術を紹介しよう。それはプリント基板に穴をあける穿孔装置にTSP(数学:巡回セールスマン問題)アルゴリズムを利用したものである。例えば1000個の穴開けを最短距離で巡回することができ、作業時間を10%以上縮小できる。(TSPLIB、ドイツ)またハンダ用ディスペンサののり付け工程にも同じ理論が応用されている。(ドイツ)

それ以上に高密度化し、ノイズ対策上問題(EMI、EMS)がある場合、電源とグランド(0V)を内層(2,3層)にそれぞれ割り当て、信号線を1、4層面で配線して対応する。これが4層基板である。(ピン間3本という場合もある。)また、ノイズ対策上GND(0V)層内にクロック信号線などを通す場合もある。

このようにプリント基板の世界は研究室レベルの高度なソフトウェア化(CAD、ノイズシミュレーション、高周波アイパターン解析技術等)が進んでおり、ド素人が口を出すような単なる電気配線といった低レベルのものではないことをよく知るべきであろう。



 数ヵ月後のことである。本業(システム開発とマイクロコンピュータ応用機器、制御ボード等の開発)に専念していたこの頃、東京にいた頃からミーティングの後、秋葉原でよく飲んだ商社マンZ氏から電話が入った。


「ご無沙汰しております。Zです。」
「Nです。ほんとうにご無沙汰ですねぇ、お元気でしたか?」
「ぼちぼちやってますぅ。ま、ほんまにバブル崩壊の後は物件が激減ですわ。」
「こちらもソフトはいくらでもあるんですが、ハード関連が少なくて参ってますよ。いきなりですみませんが、何かいいハードの物件がありませんかねぇ・・・」
「それなんですが・・・」
「はっ? もしかして」
「そうなんですよ。久しぶりに面白い情報があるんですが、少々気になる点も・・・」
「ま、とりあえず、打ち合わせの日取りを決めませんか?」
「そうですね」

 翌週、秋葉原にあるZ氏の会社へ出向いた。1年ぶりだろうか・・・
女性秘書が会議室に案内してくれた。
しばらくしてZ氏が入ってきた。以前と比べて顔色があまり良くないように見えた。
「わざわざ来ていただいてありがとうございます」
「どうもいつもお世話になっております。」
「どうぞ、お掛けください」
「ありがとうございます。Zさん、忙しそうですね。」
「まあ、ボチボチです。物件を持ってこないとコレですからね」といって首の前で手のひらを水平に動かした。
「またまた。これだけの商社でそんなことはないでしょう」
「いやぁ、以外にきびしいんですよ。ま、でもまた一緒に飲みたいですなぁ」
「ほんとうですねぇ。失礼ですが、顔色が以前とくらべて・・・」
「実は肝臓を悪くしましてねぇ・・・」
と言いながら、ファイルを取り出した。
「大事にしてください。」
「ありがとう。早速ですが資料はこれです。この話には私どもの他にもう一社、間に入っておりまして。ま、それはとにかく、装置1セットの販売価格が数百万らしいです」といってファイルを開いた。
「結構な価格ですね。ちょっと見させていただきます」
広げられた資料をみると、ある電子基板の改造とデータのダウンロードについて書かれていた。
「改造する基板はありますか?」
「先さんの言うには、担当する会社が決まったら直接話したい、ということです」
「そうですか・・・」

資料には基板の写真があり、CPUとROMが写っていた。
CPUの拡大写真には“LE・・”の文字が見えた。これは・・・少し前に300円で購入した“○○○ビューティ“ボードに搭載されていたLEテックのCPUと同じではないか! 

比較的小声で私は言った。
「この“LEテック”(*2)の刻印ですが、これはP台の制御ボードではありませんか?」
「えっ?! よくわかりましたねぇ。これまでこの写真を見て正解を言った人は一人もいませんでしたよ」
Z氏は驚いていた。
「以前に似たようなものを見たことがありまして・・・」
「そうですか? 凄いですね。なるほど、いままでもその情報量が物件を引き込む原動力でしたからねぇ、驚きです。では早速打ち合わせの日程を決めましょうか?」
「宜しくお願いします」
「ありがとうございます。実はいくつかの会社に当ってみたんですが、皆断られましてね。」
「即断するには早いですね。もう少し内容を知ってからでないと」
「それでは仲介してくれた会社に連絡して日程を決めて、また連絡します」
「宜しくお願いします」
「これで一安心です。いやぁ、没にするにはもったいないかな、と思っていたんです。100台単位で考えると、うまくいけば、数億の売り上げになりますからね。ところでまた時間がある時でいいんですが、食事にでも行きませんか? 秋葉原にうまいステーキの店があるんですよ」
「ほぉ、いいですねぇ。ぜひ、行きましょう」
この日は最近の業界の近況や雑談など積もる話で盛り上がり、気がついたときは2時間が経過していた。


その後、しばらく放っておいた“○○○ビューティ“のROMの逆アッセンブル結果の解読を行ってみた。
ソースにコメントを入れながら編集していく。その内容は、+1方式のカウンタ制御、大当たりの判定とタイミング、確変の確率の決定箇所、I/Oの処理などをフローチャートに興しなおすことで次第に明確になっていった。

ここでわれわれの世代(80年代)のCPUボードのデバッグ方法を紹介しよう。別に何の参考にもならないが。
今はPCで、完成した無償の統合環境で開発を進めることができる。だが、かつてはそのようなものは存在しなかった。ソースコードの作成とコンパイルはインテル純正8インチフロッピーディスク2機搭載の開発専用マシンMDSで行った。見かけは青いPCだが、パソコンでは無い。価格は数千万円である。ここで作ったHEXファイルを付属のROMライターでROMに書き込む。

デバッガは安藤電機製でアタッシュケースタイプ。CPUソケットにエミュレータを指し込んで、ROMのプログラムをSRAM(*1)に転送、スイッチで切り替えてデバッグを行う。このようにテストプログラムを作成してはデバッグを行い、ハンダゴテ片手にプリント基板のパターンや回路のミスを修正していくのである。

 この頃はSRAMは驚異的に高価だったが、市販のものを買う必要はなかった。CPUもメモリも自社で作っているからである。メモリは実験室の一か所に、意外と無造作に静電防止マットにいくつも差してあった。

 開発納期(1案件、数億円)は今と異なり余裕があったが、それでも基板完成後のハードデバッグは大変で、よく徹夜をしたものであった。そのためか、数十年使うことがなくとも、今もZ80のジャンプ命令等の多くのマシンコードを忘れることは無い。

さて、その後の翌週。Z氏から電話が入りミーティングの日程が1カ月後の某日に決まった。これが問題のX−Dayである。ただその前に、この物件の仲介会社社長Q氏に会う必要があった。見積りを作るための資料を全て持っているとの情報を得たからである。


(*1)SRAMとはランダムアクセスメモリの一種である。頭のSはスタティックの意味。当時はスタティックのSRAMとダイナミックのDRAM(データ保持のためリフレッシュが必要)の2種があった。いづれも電源が落ちると中身が消えてしまう。だが高速で読み書きできる。

(*2)このマイコンこそが当時のP台ほとんどに使用されていたLEテック社製V2チップであった。といっても中身はZ80。
2002年(H14)、L.Eテック社はマイクロチップV2Lの自己診断機能をさらに充実させたV4(内規指定)の特許を出願している。



某日。
場所はZ氏の勤務する商社のミーティングルーム。10:00AM
「こちらが○○株式会社のQ社長です。」Z氏が紹介した。
名刺交換。
「はじめまして。Nと申します」
「Qと申します。宜しくお願いします」
垢ぬけた感じの、元商社マンらしい純正東京人という感じだ。
Q氏が椅子に掛けるのを待って自分も掛ける。
「なんですねぁ、基板の写真を見ただけでLEテックの名前を当てたそうで・・・」
「あぁ、たまたまです。」私は会社案内をQ氏に渡した。
「Zさんから聞いてますよぉ、営業、技術、なかなかの腕前だそうで・・・」 
言葉は丁寧だが、その目は鋭く、抜け目なく探っている。油断ならない。
「ありがとうございます。拝見させていただきます・・・」
会社案内を一通り見て切り出した。
「今回のダウンローダはちょっと変わった経緯で来ましてねぇ・・・」
と言いながら、テーブル上のアタッシュケースを開き“例の“基板と資料を取り出した。
「それでは私はこの辺で。じっくりお話下さい。」Z氏が出て行った。
「ありがとうございます」われわれの声は、偶然だが重なった。

Q氏のいうダウンローダの説明をまとめると次のようになる。

・P基板のROMの下にメモリ(SRAM)を置く(バックアップは無用)
・電源が入った状態でROMソケットにコネクタを差し、プログラムをメモリ(SRAM)に書き込む
(リセットスイッチでプログラムが起動。電源断でプログラム消滅)
・電源断から電源入で、ROM起動する

ROMやSRAMは制御端子によりデータバス端子をハイインピーダンスにできる。この機能を利用すれば容易に実現できるだろう。電源を切ってROMを検査しても正常なのでなにも見つからない。電源を切ったためSRAMの中身は消えてしまう。次にROMを差せばROMで起動する。

警察の抜き打ち検査を受けてもソケットの下で全くわからないだろう。
ノートPCとの組合せで実現可能だ。台数さえ出れば相当な利益が出る。

“裏基板の見積りか・・・” 私は思った。
「ぶっちゃけた話で恐縮ですが、予算については何かご存じでしょうか?」
Q氏の顔色がにわかに曇った。
「・・・正直、まだわからんのです。ただ、金はあるといっていましたが・・・」

実はこれまでに、私はP雑誌のゴトに関する記事を読んでいた。なぜなら一部の内容は技術的に十分実現可能なものであったからだ。つまり架空の話ではないということだ。

それを裏付けるものがある。P関連のある映画である。2016年12月、惜しくも他界した根津甚八氏主演の映画「ゴト師株式会社」シリーズ(下田氏原作)。
この内容は驚きの連続であり、他の映画とは別格であった。それを見ている間の自分は、映画の鑑賞者ではなく、完全に技術者の目になっていた。(梁山泊は論外、見る価値ゼロ!)

残念ながら、私がその話を何人かの日本人の自称ハードウェア、ソフトウェア技術者に振ってみたが、彼らはその内容をほとんど理解できなかった。正直、ありえない話だと根拠のない自信をもって言っていた。

下請けと派遣ばかりの技術者が蔓延する日本では仕方ないだろう。結論だけが急がれる。工学や物理学の基礎からモノ事を見る訓練をしてきていないのである。

 話がそれてしまったので元に戻そう。
この案件がまともなものでないことはすぐに気付いた。もし反社会的組織からの依頼なら、最大の問題は金の支払いだろう。Goサインが出なければそれで終わりだが、もしそれが出た場合、仕事の終了時に開発費を全額支払ってもらうというのはかなり危険だ。なんやかんやでイチャモンを付けられ、半分以下に削られるとか全く支払わないという可能性だってあるのだ。しかも1台ずつ金を支払われることになるかもしれない。こうしたことは通常の取引でもこれまでにあった。油断はできない。開発金額はまず半分を振り込んでもらい、残りは各月検収としてもらおう。リスクが大きすぎる!

その日は、Q氏にP板の借用許可と3週間の猶予をもらいミーティングを終えた。

後にわかったことだが、これこそが反社会的組織が全国のP店舗に1台約200〜300万円で、“かつぎ屋”を使って売りさばいていたという“注射器”であった。かくして反社会的組織とP店が結託し、P客が食い物にされる恐るべきシロモノであったのだ。

X−Day
ついにその日がやってきた。
電車でそこへ出向いて行った。川崎の某所である。
駅から歩いて到着した指定の場所には、どこにでもある古いビルが建っていた。そのとき、ふと、この地域には確か○○組があることを思い出した。

早速○階に上がった。薄暗い廊下の先の入り口にはいかつい顔の男が2人。軽い身体検査をうける。ボディガードだろうか? 何かの要人がいるのか、それとも危ない方々か? やはり後者だろう。
非常口を確認しようとおもったが、両側にぴったりと先の男2人に張り付かれて事務所に入るしかない。

ここは腹をくくって中に入った。
そこにはどうひいき目に見ても、赤シャツに黒タイ、Wのスーツを着た怪しげな巨漢の責任者(X氏とする)がいらいらした様子で座っていた。が、その対面にはQ氏がいたので少々安堵した。

最初は普通に名刺交換で始まった。次にS氏に会社案内を渡したが、終始にこりともせず、全く興味が無いようすだった。
それもそのはず、S氏はすぐにテーブル下から電子部品が搭載された1枚のプリント基板を取り出したかと思うと、矢継ぎ早に話をし始めた。かなりせっかちな性格のようだ。

最初の内容はQ氏の話の繰り返しだったが、最終的には見積金額と支払い方法が気に入らないということだった。
650万円位である。そこで見積りの説明に入る。
基板が変わる度に基板の製造費用であるイニシャルコストが必要なこと、台数が多ければ安くなることも説明した。と見積りに書いておいたが、目に入らなかったか、はたまたご理解いただけなかったようだ。半額前金と各月検収については、500万円以上の物件では通常の取引方法であることも説明した。

聞いているのかいないのか、X氏はふんぞり返って上を向いていた。そこで私は重要な質問をした。
「この基板には、おそらく入手不可能な部品があります。このCPUです。これがなければダウンローダは作れませんが・・・また基板のコピーには時間がかかります。回路図があればよいのですが・・・」
「それはこっちで準備する」まだ不満そうにX氏は答えた。
「この金額、何とかならんか?」眼光鋭くXが聞いてきた。

よく聞いてみると、金はあるという。開発費だけでなく、注射器一台の単価も気に入らなかったらしい。180万円位にしておいたのだ。

「わしらはな、1台ずつ買いたいんじゃ。まとめて大量に作るつもりもない」
電気店で売っている商品を購入するのと同じ感覚なのである。開発費など知ったことではない、ということだろう。
「ではもう一度検討してみますが、1台当りの購入価格はどれくらいを希望しますか?・・・」
「安い方がええにきまっとるがな。50万位やろか」
「わ、わかりました。もう一度検討してみましょう・・・」
これは終わったな・・・話にならない

取りあえず、これで打ち合わせは終了した。

後日。
結果として、この物件は没になった。相手が反社会的組織の人間だ。容易なことでは商売は成立しない。直接取引は危ない。彼らに顔がきき、且つ金に余裕のある誰かが間に入ってくれれば実現したかもしれないが・・・

その後、噂に聞いた“注射器”は、N社ノートPCと手作りのアダプタによる一品ものだったという。残念だが、手作りの詩作品は手ハンダが多く故障しやすい。長持ちしなかっただろう。

イニシャルコストを無視して1台数百万円で売れば、確かにボロ儲けできる話である。だがそういう話には必ず裏がある。内情を知れば引っかかることはない。その後摘発されたようだが、記事はいまだ見ていない。

ところが驚くなかれ・・・後日談がある。
実は数年後、あれを契機にP製造業界に食い込むことができたのかもしれない、と思わせる話があるところから転がり込んでくるのである。


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